遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

お金と時間と手間の循環

デスクワークを始めて腰をやらかしてから、定期的に整体やマッサージに通っている。ひどかった頃はぎっくり腰になったり腰が痛過ぎてストレッチをしたら体のあちこちがバキゴキと鳴ったりしていたが、最近は凝りがひどくて息がしづらいとか熟睡できないという方向になってきた。だいたいいつも右半身が凝っていて、放置しておくと右腰の奥がじんじん痛む。しばらく整体に行くのをサボると分厚い鉄板をコルセットとして巻いているかのように腰回りがガチガチになって、全身の力が抜けず、歩いたり頭を洗ったり歯を磨いたりといった日常の普通の動作がぎこちなくなる。そうしてやっとやばい…となって整体の予約を取る。前は凝りが極限になると首のあたりがガチガチで呼吸ができない!となっていたけれど、歯医者で噛み合わせを治してもらってからはそこまでのことは起きていない。噛み合わせを治してからは顎から首にかけてのひどい凝りがだいぶマシになった。噛み合わせってすごく大事なんだな。

世の中にはリラクゼーション目的のエステサロンなんかもあるが、私はそういうところではなく、整骨院とかの、按摩師の国家資格を持っている施術者がいるところに行く。しかし整体はなかなか効果が怖いので、事前にめちゃくちゃ口コミをチェックしたり、国家資格を持っている人がいるかどうかを確認するようにしている。いま通っているところはバキバキ鳴らして矯正するカイロプラクティックではなく、按摩とストレッチで歪みを治したり神経の反応により体を楽にする方法を採用していて、私はそっちのほうが合っているなと感じたのでそこに通っている。安くはない出費だが、施術を受けたあとは明らかに視界が広がり、腕や脚の可動域が広がり、息がしやすくなったりと楽になる。体のあちこちを押したり伸ばしたりするだけでここまで変わるとは、といつも不思議に思うのだけれど、施術してもらったあとは本当に体の楽さが違うのだからまた通ってしまう。今日も30分間体のあちこちを押してもらったり揉んでもらったりして硬い鎧から解放された。きっと今日はぐっすり眠れる。ストレッチやら運動をこまめにしている時期は通う頻度が少なくて済むのだけれど、日々をやりこなすのに精一杯でセルフケアをしている余裕がなく、結局他人の手を借りてなんとかしてもらうことで乗り切っている。財布は痛いが体は軽い。時間を金に変え、金を手間と時間に変え、その循環で生きていく。

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冷やぶ並に温玉乗せてください

暑かったり寒かったり大雨が降ったりとせわしない春。さらっぴんのスーツに身を包んだ新入社員であろう人たちがあちらこちらにいて、心の中で小さく応援する。みんな少し緊張した顔をしている。

讃岐うどん」と呼ばれるものがだいたい好きで、都内でおいしい讃岐うどんが食べられると聞くと、その情報を覚えていたらふと行ってみる。やわいうどんよりコシのあるもちもちのうどんが好みなので讃岐うどんが合っているのだろう。しっかりゆっくりお店で味わうのもいいし、讃岐うどんと言ったらセルフサービスなのでささっと立ち食いするのも良い。本当は讃岐うどんではないらしいが丸亀製麺も大好きだ。私は大阪の人間なので甘くて濃いつゆがとても好み。個人的にはうどんを一番美味しく食べられるのは冷たいぶっかけうどんだと思っている。なのでどこの店に行ってもだいたい冷やしぶっかけを食べている。このあいだはトウキョウサンフラワーのうどんを食べて、鶏天とちくわ天がセットで700円くらいなのに驚き、うまいうまいと食べ、またこのあいだはいぶきうどんで鶏天二個とちくわ天がセットで690円なことに驚き、うまいうまいと食べ、丸亀製麺でもこれも最高においしいんだよなあと食べた。いぶきうどんはいりこだしでちょっと薄めのつゆだが、一本の麺の太さが太かったり細かったりまちまちなのが食べてて楽しい(手打ちなのかな?)。あと鶏天がめちゃくちゃおいしい。そういえば前に神宮前の麺散にも行ったことがあって、そこもおいしかったな。去年ら四国旅行に行き、香川出身の知人に教えてもらったおすすめのうどん屋さんを三軒はしごして楽しかった。どこも微妙に違いがあって、一番好みだったところはやっぱりつゆが甘かった。あのおいしさを今でも思い出している。他にも都内のおいしい讃岐うどん情報をゲットしたら行きたい。

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本を作ってみたい

毎年だいたい冬の間は体もこころも調子が悪く、なにもできなくなり横になっている時間が増える。今年も例に漏れずで3月はブログも書けなかったし創作もほぼなにもできなかった。冬の間はずっと頭に靄がかかっているような感覚があって、脳内でイメージと文字をいったりきたりして再構築したり段取りを考えてそのための準備を考えて…なんていうことが全然できなくて、それこそ言葉通りの「生きる」が精一杯だったのだけれど、ここ一週間ほど急に脳がクリアになってきた。体調的にも引きずり込まれるような眠気が少しマシになり、行動量が増え、徐々に春の目覚めを体感している。体が起きてきた感覚。

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年が明けて28の代になり、30歳が見えてきたので、最近は30歳というひとつの区切りについてよく考えている。ざっくり20代と30代は社会から求められる責任だったり、ライフステージだったりが変わる人が多いのではないかと思っていて、私もぼんやりと3年後を見据えてこれからの選択を考えることが増えた。年齢はただの数字で捉われることはない、という考え方もあるけれど、でもせっかく30年生きたのだから、この区切りを利用して人生について考えたい。そんなことをぼんやりと思っていたら、ふと、「本作ろうかな」という気持ちになった。いや、前からずっと同人誌は作ってみたくて、でも書くネタないなあなんていう逃げの思考をしていたのだけど、なんか、なんとなく今年こそ本を作ってみたいな、と思えた。いま作りたい本は3種類あって、ひとつは「30歳」についていろんな人の考えや経験をまとめたアンソロジー。年齢はただの数字でなんの意味もないという人、30歳になってなにかが変わったという人、これから30歳を迎える同世代の人、30歳への偏見とリアル、いろんな人の「30歳」への気持ちを聞きたいな〜とぼんやり考えている。ほかには、写真と短歌のZINE。写真に合った短歌を作って見開きで左右に並べたら綺麗じゃないかな、と思って。自分の作品集に憧れもある。もうひとつは、昔から今までずっとわたしの音楽プレイヤーやプレイリストで一軍に入っている曲たちの好きなところや良いところを語る本。好きな曲に限定せず、たま〜に無性に聴きたくなる、こころに刻みつけられた思い出深い曲も語りたい。それぞれの本で表紙や装丁をがらっと変えたいな。使いたい紙もあるし、箔押しとか活版印刷もやってみたいし、遊び紙を豪華にしたいし、帯もかけたい。締切があったほうが目標を持って走りやすいので下半期に良いイベントないかな〜と思っていたら、東京で大規模なZINEのフェスが開催されることを知った。開催日は2025年の1月11日。9ヶ月後くらい。9ヶ月あればなんとかなるのでは…?運営の方からも、今から本作る人もたくさんいますよと安心できる言葉を頂いたので、めちゃくちゃ前向きに出展を検討している。本作りに向けて、誰か私のケツを叩きまくってほしい……。

ZINE FEST TOKYO・2025年1月11日(過去最大規模での開催予定)#ZINEフェス東京|BOOK CULTURE CLUB(シェア型本屋・無人本屋・リソスタジオを運営)

水曜日やからサンデー読んでるんかな

電車に乗っていたら、前に座っている人がマンガ雑誌を読んでいた。水曜日だからサンデーかな、と思いながらこっそり眺める。降りるときにちらりと見えた表紙からすると、サンデーではなく週刊少年マガジンだった。そっか、マガジンも水曜日発売か。帰りの電車で読みたいくらい楽しみになっているの、良いな。電車を乗り換えて落ち着いたのでマガジンの今の連載作品を確認したが、最近マンガを読んでなさすぎて自分が知っている作品は見つからなかった。さっき電車で読んでた人はどの作品が好きなんだろう。

我が家では、スピードが過度に遅い車や蛇行運転している車を見ると「ジャンプ読んでるのかな」「今日月曜日だもんね」「今日は水曜日だからサンデー読んでるのかな」と話すお決まりの流れがある。それくらい楽しみにしてるだろうから仕方ないね、とイライラやもやもやを冗談で片付けるライフハックなのだが、とはいえ運転しながらマンガ雑誌を読むのは絶対にやめてほしい。最近ではさすがに見なくなったが、10年くらい前までは本当に運転しながら雑誌を読んでいるドライバーを見かけたのでこわい。我が家でのお決まりは他にもあって、危険運転をしている車を見ると「トイレ漏れそうなんかな」だとか「門限やばいんかな、ここからやと21時の門限で岸和田くらいかな(家が)」みたいな会話をする。とりあえず笑いに転化することで他人へのイラッを消化しようという大阪人らしいハックだ。門限予想は地味に楽しくて、たとえば20時47分にスピードを上げて走っている車を見ると、そこから15分程度かかる場所が居住地で、門限は21時なのかな、というように予想する。1分でも過ぎたらドアロックかけられるんやろなあ、と笑うことで、ちょっと楽しい時間を過ごせるのだ。今は東京に住んでいてほぼ電車での移動なので、ものすごいスピードで周りの人にぶち当たりながら歩いている人を見かけたりするとトイレ近いんかな、と思うようにしている。うんこ漏れたらやばいもんね、じゃあ仕方ないね、と思えばちょっと許せる。間に合うといいね。うんうん。

私はなかよしっ子からのジャンプっ子だった。いつだって、楽しみがある日々は輝いているものだ。久しぶりに私も定期の楽しみを作ろうかな。

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春の楽しみ、梅

感情はすべて波であり

最近のことをちょこちょこと ぜんぶ食べ物の話だった

寝ても休んでも疲れが取れず体調にめちゃくちゃ出てわりとおしまいに近いのですが、まあ楽しくやっています〜食がいちばんの楽しみなのに味覚障害になってしまい、何を食べても臭くてつらい。。。チョコだけ美味しく食べられる日々です。

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世界の美しさを伝えたくてものづくりをしている

夏から少しずつ制作を進めていた、コンテストへの応募作品が完成した。ここのところずっと構成を考えていたのでやっと完成して脳のメモリが解放された。今は久しぶりに脳がすっきりしている。期間内に完成させられてよかった〜〜…!前回よりも納得のいくものが作れるようになって、少しずつでもちゃんと成長しているのだと実感する。私は自分が"良い"と思うものしか作れないのだけれど、それを突き詰めるときっといつか誰かが共感してくれるんじゃないかと思って発信していて、それは私が過去に誰かの文章や写真や映像や漫画に感動したからだ。世界のどこかでひっそりと発信されているなにげないものに共感したり、救われたりしたので、私も誰かに影響を与えたくてインターネットをやっている。もちろん自分のメモという側面もあるが。私が見ている「世界の美しさ」を誰かと共有したい。そんな気持ち。

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ものづくりは完成像が見えないままにこねくりまわしている間はしんどいけれど、自分なりに完成したときの気持ちよさがすごい。この気持ちよさがやめられなくて、忘れられなくて、また制作に手をつけてしまう。合法で味わえる快楽。ものづくりに楽しさをおぼえられる体に生まれてよかったとしみじみ思う。疲れていて文章がうまくまとまらない。今日はこれだけにしておこう。またね。


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モネ展の感想

モネ展を見に行った。平日だったので並ばずに当日券で入れて快適。中もそれほど人が多くなく、適度に賑わっていて良い感じに見て回れた。感想としては、モネ、絵が上手すぎる……いや当たり前なんだけど。それにしたって、絵が上手い。ゴッホ展を見に行ったときもデッサンを見て同じことを思った記憶がある。近くで見ると筆でささっと描いただけのような跡が、引いて見るとちゃんと人間に見えたり、山に見えたり、船に見えたりする。それがすごい。あと、色使いがすごかった。白い面を描くのに紫やグレーや青や黄色を使っていたりする。私は白を描くのに紫は使えないかも……と思いながら眺めた。モネの「なんでもない景色を特別に切り取る視点」がすごくて、でも、きっとモネの人生にはつらいことや大変なことがたくさんあったのかな、と感じた。つらいことがあればあるほど世界は美しく見えるから。なんでもない日常を美しく思えるのは、その日常が貴重であることを知っているからだ。モネの絵はどれも色使いや視点が美しく、だからこそ世界の儚さを感じた。あと、同じくらいの期間の作品でも筆の使い方?絵の具の塗り方?が全然違って面白かった。いろんな描き方を試していたのかな。モネくらいすごいクリエイターでも作風とか作り方に悩むことがあるんだろうか。目の前の風景の最適な切り取り方を試行錯誤していたことがよくわかる展示だった。

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モネの作品、人生に関する説明を読んでいたら、晩年には作品そのものだけでなく連作としての展示の仕方についても考えることがあったとあり、そこまでいくのか……と思った。作品そのものを最高の出来にするために努力するのは当たり前で、それがどの順番でどう展示されればいちばん良く見えるのかを考えていたらしい。すごすぎる。そこまで考える美術家ってどれくらいいるんだろうか……そして、いま各地の美術館に展示されているモネの作品たちは、モネの望んだかたちで展示されているんだろうか。

記憶に残っている作品は、桃と水が瓶に入っているような絵と、涙でぼやけた視界のような絵。後者の作品は説明には何も書いていなかったけれど、見た瞬間に「モネはこれを描いたとき、泣いていたのかな」と感じた。あとで調べようと思っていたのをいま書いていて思い出したので、今日こそあとで調べる。あとはもうひとつずっと見ていられるような山の景色の絵があって、お土産はその絵のポストカードを買った。グッズショップが外にあって驚いたのと、やっぱり限定のロルバーンは品切れで入手できなかった。でもお土産は基本的にポストカードと決めているので散財しなくてよかったと思うことにする。今回は美術や文学が好きな友達と行って、絵を見ながらいろんなことを話して二時間も見て回っていた。人と美術展に行くの楽しいな〜。自分が絶対に作れないであろう作品をえらぶ気持ちで見て回るのが好きだ(どれも作れないよ、というツッコミは置いておいて)。その友達と今度は浅草を楽しむ約束をした。生きる気力をもらった一日。