遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

感情はすべて波であり

前の記事で「悩み事がない人生だった」と書いたけれど、冷静になって考えるとそんなわけがない。この30年の人生、それぞれのライフステージで大小さまざまに悩み事はあったはずだ。それなのにどうして先述したような言葉がでてきたのかというと、その「悩んでいたこと」を忘れているからだと思う。

人間は忘れる生き物だ、と言いはするが、それにしたって私は辛い経験を特に忘れやすい傾向にあると思う。それは躁鬱を抱えていて苦しみにフォーカスしていたら壊れてしまうからかもしれないし、生来の性格かもしれない。けれど、どっちにしたって、どんな辛さも、悩みも、喉元を過ぎればそのうち忘れてしまう。そして過去の出来事になって、風化していく。

過去のことを思い出す時、辛かったことや大変だったことを思い出すのはなかなか難しい。楽しかったことや嬉しかったことはその時の高揚感やスパークジョイの感覚を鮮明に覚えているので思い出しやすいのだが、辛かったことに関しては記憶が蓋をしているのか、事実としてこういう体調不良があったとか、こういうことができなくなったとかの情報としてしか思い出せない。それがいいのか悪いのかは別として、私にはそういう特性があるみたいだ。

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過去のことをよくよく思い出すと、高校生の頃も、大学生の頃も、大人になってからもいろいろと悩んできたように思う。将来のこと、人間関係のこと、躁鬱に関すること、大学生活のこと、自分自身のアイデンティティのこと、お金のこと。そのたびに、その時はそれが一番辛い悩みだと感じてもがき苦しんでいたように思う。思う、というのはその時の感情をもう思い出せないからだ。でも出来事として覚えている。

ひとつ言えるのは、過去のそうした苦しみを思い出せないということは、それらをそれなりに乗り越えてきたのだろうということだ。解決していなければ今でも悩んでいるだろうし、その苦しみはもっと鮮明に覚えているだろう。感情はすべて波であり、楽しい気持ちも悲しい気持ちもいつかは波が引いていく。それと同時で、苦しみもいつかは引いていく。時間薬と言われるものがそれにあたるだろう。きっと過去の私はそれなりに悩み、苦しみ、その度に乗り越えてきた。だから今がある。そう思うと、いま苦しい気持ちもいつかは波となって引いていくのだと希望が持てる気がした。

感情がすべて波であるのだったら、できるだけ楽しい波を引き寄せたい。苦しみや悩みは引き寄せなくても勝手にくるものだから適当にいなして、大切にしたいものごとに注力したい。そんなことを考えていた。

悩み事がない人生だった

運動習慣をふたたびつけようと、2年ぶりくらいにプールに行った。区の温水プール。とりあえず30分はプールで運動するぞ!と思っていたのに、一ヶ月寝込んでいたので体力も筋力も激減していて、バタ足10分で激しい疲労に襲われ退散した。そこから調子が悪い。プール再開と半年ぶりの労働(単発バイト)を同じ週に入れたのが良くなかった。

疲労がひどく睡眠で取りきれないので毎日起きるたびに疲労の積み残しがあり、気分が沈んだ状態で目が覚める。ひどく落ち込んでしまってネガティブなことしか考えられない。加えて転職活動中でもあるので人生について考える時間が多く、ネガティブなのでどんどんよくない方向へ思考が進んでしまう。

自分だけ世界から取り残されている気がする。何も積み上げてこなかった気がする。私の30年間がすべて無駄だった気がする。

一度考え始めてしまうともう負のループが止まらなくて、私を拾ってくれる会社なんてないんじゃないかとか、拾ってくれるような会社はブラックばかりで入社してもつらいことばかりなんじゃないかとか、ずっとそんなことを考えている。

生まれてから30年、ずっと私の世界には私しかいなかった。20年を超えたあたりから他人の存在が少しずつ出てきたけれど、今月に入ってからやっと「他人は何をどういうふうに考えているんだろう?」と思うようになった。みんなは人生をどんなふうに悩んできたんだろう。仕事を選ぶ時にどんなふうに決めてきたんだろう。人生の何に悩んでいるんだろう。

私はあまり悩み事がない人生だった。いつだって直感と運にしたがって生きてきて、それでそこそこ満足のいく人生を歩んできた。でもいま、本能とは少し違う角度で、理性的な選択をしようとしている。そこで自分の中でどう折り合いをつければいいのか、納得すればいいのかわからなくてモヤモヤする。今まで反応と選択が違ったことがなかったから初めての経験にただただ戸惑っている。人生って難しいんだな。

まだ30歳。これからの社会を考えても少なくともまだ30年は働くだろう。あと30年働くとして、あと何回転職するんだろう。これからの仕事人生において、私が伸ばすべきスキルってなんだろう。「キャリア」というものを考えなければならない時が来ている気がする。気がしているのに、これだと言える軸が見つからなくてモヤモヤしている。数ヶ月以内に見つかるのか、見つからなくても仕事を決めていいのか、まだわからない。

システム手帳熱、再燃

この間友達と大きな駅で待ち合わせした時の話。最初は西口で待ち合わせという話だったのだが、東口で用事を済ませて西口に向かう時に改札前を通ったのでこのまま改札で待ち合わせした方が合流しやすいのでは?と思ったところ、ちょうど友人が目の前を通り過ぎようとしたのであ!と思い、LINEして相手が気づかないだろうなとかこの人混みの中で追いかける時間とか名前を呼んだらよくないなとか諸々をコンマ何秒で考え、最善かつ最短の策として「あ!いた!!!」とでかい声で叫ぶ、という方法を取った。でかい声を出せば周りがこっちを見るだろうので、友達もこっちを見るだろうと思ったのだ。私はこういうところがある。力で解決しがち。友達は笑ってた。

私はあんまり羞恥心というものがなくて、人前で話したりなにかを発表したりすることに抵抗がない。そのおかげで今まで単発バイトでビラ配りや呼び込み、イベントでの司会などをしたりしてそこそこ活躍できた。羞恥心のなさというある意味欠陥がお金になるとなんだか得した気分になる。そういえばそんなことでお金を稼いでいた時期もあったなあ。

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最近は誕生日プレゼントに貰った新しいバイブル手帳をよく連れ回している。ガウディの作品に通じるものを感じて一目惚れしたサントシャペルのニゼル。うちに来てくれた子の模様もすっかり気に入ってちょこまかとデイリーを書いている。この継ぎ接ぎタイル柄がかわいすぎる!爽やかな青色は眺めてると癒されるし、手触りも良くてつい撫でてしまう。かわいい子がうちに来てくれてよかった。

しばらくバイブルサイズを触ってなかったので中身を一から作り直しているのだが、中身をどうするかずっと悩んでいる。手帳垢の人たちがよくやってる価値観をまとめたリフィルとかも作りたいなあ。綴じノートに凝っていた時期からまたシステム手帳熱が再燃してきたのでいろいろ書きたい。バイブルの手持ちリフィルが少ないので買いに行きたいな〜。かわいいデザインリフィルが欲しい。丸の内丸善とか行ったらいろいろあるだろうか。銀座の伊東屋のほうがいいかな?近いうちに見に行きたい。boothとかで探してみるのもいいかもしれない。

リハビリの緩急

寝込んでいたら4月が終わった。散歩にはあまり行けていない。4月はリハビリだ〜と思っていたが、想像以上に心身の不調の波が大きく、上がったり下がったりでなかなか元には戻れていないままにGWに突入しそうだ。ちょっと元気かもと思って予定を入れては当日になりキャンセルすることが多くて申し訳ない。整体にもなかなか行けずメンテナンスすらままならなかったりしていた。でもGWは久しぶりに友達と出かける用事があって、楽しみな反面、体調が悪くなったらどうしようという不安もあり、ほんのりそわそわしている。まあ友達は私の持病に理解があるし、体調悪くなったらカラオケとかに入って横にならさせてもらお!と思い直して今のところ不安をやり過ごしている。無事に楽しめたらいいな。

この間はちょっと15分くらいだけ作業しようと思って自室のデスクについたら気付くと2時間半経っていて、その間ずっとPCに向かっていた。そこそこ満足のいくデイリーリフィルを作れたので結果オーライかもしれないが、次の日はまったく使い物にならず丸一日ひたすら寝ていた。体が重くて言うことを聞かないし、強制的に意識がシャットダウンされて困った。ただ寝るだけの生き物になる。リハビリの強弱?緩急?をもっとちゃんとつけられるようになりたい。

文章を書くのもしばらく休んでいたので脳内から文章が緩やかに出てくる回路がだいぶ弱ってしまった感覚がある。それでもこうして書き出してみると楽しくなってくるもので、あれも書きたいなこれも書きたいなとアイデアが出てくる。5月はまた自由にたくさん文章を書きたい。5月こそ散歩に行きたいし、気になっている本屋に散歩に行ったりしたい。私の大好きな新緑の季節がくる。

春になったら散歩に行こう

今年はnoteをガチろうと思いめちゃくちゃ更新していたり、逆流性食道炎になったり躁転したりと体調を崩していたり、そろそろ働くか…と就活をしたりしていたらはてなの更新がおろそかになっていた。

今は躁転の薬の調整でめちゃくちゃになっているので外出ができないのだが、良い気候になってきたっぽいし花も咲いてるし天気もいいので元気になったらまたカメラを持ってお散歩に行きたい。桜をぜんぜん撮れてない。

ので過去の写真を載せておこうと思う。

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過去の写真を並べて見てみると、レタッチの仕方がぜんぜん違っていて面白い。まだまだPCに取り込んだだけのRAWデータが山ほどあるのでいろいろいじりたいな〜

東京の空も広いよ

無職でお金がないので、できるだけお金を使わないよう、一人で出かける時は都営交通を駆使して目指す遊びを始めた(障害者手帳により都営交通乗車券を持っているので)。

家から一番近くの都営交通のバス停までは徒歩20分くらい。散歩にちょうどいい。

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のんびり歩いていると空き地に放置された謎の物なんかも見つけたりする。くたっとうなだれた座椅子。ここにわざわざ置かれてるのはどういうことなんだろう。わざわざ捨てにきた人がいたんだろうか。

今日は都営交通で銀座を目指す予定だった。一番近くのバス停に着き、時刻表を見る。お昼の時間帯のバスが一切ない。なぜ???私が調べたときは10〜15分間隔で出ているとのことだった。でも目の前の時刻表は日中の時間帯がごっそり抜けている。とりあえず来た大きな駅行きのバスに乗りながら、運転手さんに乗りたかった路線について聞く。「あ〜それは向こうのバス停じゃないとこないよ」向こうのバス停?反対車線のことか?でも私が行きたいのは南方面なのだ。不思議な気持ちで大きな駅でバスを降りて、いったん都営交通チャレンジは諦めてメトロで銀座に向かう。

銀座に行ったのは、3月始まりのロルバーンダイアリーを買うためだった。デルフォニックス大阪とSmithオーテモリで完全予約制の先行販売会が行われている中、直営店限定品などを除いた8割くらいの商品がなぜか銀座ロフトで販売されていた。なぜ???先行販売とは何なのか???今日は疑問ばかりの日だ。でもたしかに売っているので、事前にチェックしていたものをザクザク買う。
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ずっと探していたシールも見つけたし、ロルバーンのブックマークなども買ったため、ふらりと思い付きで行ったにしては恐ろしい金額のレシートが出てきた。怖い。自分の買い物の才能が怖い。しかし紙袋の重さが嬉しくもある。はやく帰って買ったものたちをじっくり眺めたい。

行きの電車の中で調べた都営バスだけで路線検索をしてくれるアプリをダウンロードし、帰りは改めて都営チャレンジに臨む。どうやら帰れそうだ。銀座からとりあえず八重洲までのんびり歩く。風は少し冷たいけれど空気が澄んでいて気持ちいい。東京の空も広いよ。
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結局バスを3番乗り継いでゆっくり帰ってきた。できるだけ徒歩が少ないルートで、時間はかかるけど無職なので構わない。帰り道、行きで最初に目指したバス停と同じ名前だけれど少し離れた場所にあるバス停で下ろされて、行きのバスにのるときに運転手さんが言っていた「あっちのバス停」の意味がわかった。こっちのちょっと違う場所のバス停からだと日中も私がなりたいバスがたくさん出ているのだ。同じバス停名で通る路線の数がこんなに変わることを初めて知った。学びである。2月からは都営チャレンジで23区を制覇する遊びをしてみたいと思っているので、練習として事前に重要な情報を得られてよかった。お金がなくてもできる遊びは意外とあるなと思った。

スマホ依存を脱したい

今年は70冊は本を読みたい。よく記事を読んでいる人が、働きながら年間365冊以上本を読んでいると書いており驚愕した。去年私が読めたのは10冊いったかどうかというところ。その人は年365冊以上飲みながらブログも130記事以上更新していて、しっかり働いていて、そのバイタリティに驚いた。「働きながらどうやって本を読んでいるのか」「ブログをたくさん更新するコツ」などの記事も更新してくれているためありがたく読ませていただいた。推している文芸評論家(?)の三宅香帆さんの密着動画や「いつどこで本を読んでいるのか」という話題でもよく言及されているが、多読する人はオーディブルや電子書籍も使いこなしながら本当に“いつでも”本を読んでいる。エレベーターに乗っている1分、電車に乗っている10分、ご飯屋さんで注文したものが来るまでの10分、そんなちょっとした時間で数ページ読むことを積み重ねて1冊、1冊と積み上げているのだそう。

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私もたくさん本を読みたい。けど、ついスマホに手が伸びてしまう。SNSにいる知らない人たちのなんでもないポストを眺め続けているよりは読書のほうが楽しいと確実にわかっているはずなのに、どうしてもだらだらとSNSを回遊してしまう。リアルの物理積読も電子の積読も大量にあって、小説・エッセイ・ビジネス書・新書・自己啓発・雑誌などなど手に取れる候補は無限にあるのにSNSに時間を奪われていく。スマホデトックスが永遠にできない。いまこの記事を書きながらもちょこちょことスマホに手を伸ばしてはSNSを回遊し、特に意味のない文字列を眺めている。完全に中毒である。この状況から脱したい。どうせならそこから触発されてブログを書いたりしたいし、本も読みたいし、映画もアニメも見たい。まずは生活の立て直しだ。今月末の精神科の通院に併せてカウンセリングの予約をして、スマホ依存から脱するための策を練ろう。