遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

結局ぜんぶ愛に帰結するのかも【学園アリス感想】

学園アリス』を全31巻読み終わったので感想…というか、この作品を通して描かれている「愛」について考えたことを書こうと思います。少女漫画なので蜜柑と棗、蜜柑と流架、蜜柑の母親&父親である柚香と行平など、少女漫画のストーリーの王道である主要キャラクターたちの恋愛模様は王道に描かれているのですが、そのほかにも魅力的なキャラクターたちのたくさんの愛のかたちが描かれており、私はそれらにとてもこころを揺さぶられました。こんなにも強く誰かを想えるって尊い。私はそれができるだろうか、と何度も自分に問いかけながらの読書でした。

どのシーンでも感情の描写がとても鮮やかで生き生きとしていて、ストーリーの進み方やキャラクターの表情などイラストの部分はもちろん、セリフやモノローグなどの言葉選びもとても私に響くものでした。樋口橘先生の言葉選びが天才的すぎて、私にずどーん!と刺さりまくっていく。知らない感情なのに知っているような気持ちになる。最初は特別な能力「アリス」を持つ少年少女のドタバタラブコメディと思って読み始めたのが、話が進むごとにこれ少女漫画で大丈夫?というような重さになっていき、みんなが命をかけて未来を切り開こうとしていく。重くてつらくて苦しくて、でもきゅんとするシーンもたくさんあって、どうしようもなく惹かれる。ページをめくり続けてしまう。これ本当に少女漫画?と何度も思いました。でも最後まで読み切ると、ちゃんと少女漫画だった。最っ高に面白い少女漫画でした!この作品は特に電子よりも紙で読んで良かったと思えたなあ。

悲しみも苦しみも誰かへの愛情も、彼らが抱いたようなどうしようもなく強い感情は私はまだ知らないけれど、ページをめくるごとにその感情を私も心のどこかで知っていた気がするような、その感情を追体験できるような、そんな不思議な感覚になりました。実は、この作品を読んで私は初めて「フィクションに触れて感極まって泣く」という経験をしました。それほどまでに彼女たちの想いが鮮やかで強くて、今の私と何故かリンクして、すごく心を揺さぶられたんですよね。子供の頃に途中までは読んでいたけれど、いまこの時期に最後まで読んで良かった。フィクションで感動して泣く、という新しい経験と感情を獲得させてくれたこの作品に感謝して、今回はこの作品を読みながら考えたことを記録として書いておこうと思います。「ここが良かったよー!」「滾った!!!」というオタクの叫びのままに綴ったものたちなのでまとまらない文章になると思いますが、どうぞお付き合いいただけたら嬉しいです。

※全31巻のネタバレを含みます

恋と恋愛と愛について

学園アリスを読みながらずっと考えていたのは、「恋」と「恋愛」と「愛」について。恋はどこから愛になるのか。恋と愛の違いはなんなのか。そもそも恋とはなんなのか。愛とはなんなのか。

私は「恋愛」という感情について、明確な答えや判断基準を持っていないという自覚があります。恋愛感情ってなんなのか、友達と好きな人は何が違うのか、恋愛対象になる・ならないは何で変わるのか。それがわからなくて、たまに考えては答えが出ない人生を送ってきました。まだ何十年も人生があって、たった数回「付き合う」という経験をした相手が異性だったからといって、自分を異性愛者だと断言できない。友達にも独占欲や嫉妬を感じることはあるし、今まで「付き合う」という選択をした相手に抱いていた感情が恋愛感情であったとも断言しきれない。もし自分が異性愛者なら、同性の友達に抱く特別な感情はなんなのか。執着と恋愛感情は何が違うのか。性欲に由来しない執着に名前はあるのか。誰かに対して幸せていてほしいと強く願う想いには、何という名前がつけられるのか。自分の持つ感情に一般的な名前をつけることができなくて、ずっともやもやしながら生きてきました。

でもこの作品を読んで、ここに描かれているのはまさしく愛だ、と感じたのです。それはどうしてなのか、蜜柑や棗、鳴海、蛍たちが抱いた愛について、私も知りたい。自分の持つ感情について、世界中の物語で描かれている尊い感情について、そしてこの作品で描かれている感情について、もっと知りたい。ということで、心に響いたシーンや関係性を紹介しながら湧きあがった感情を言語化し、深掘りしていければと思います。まずは恋・恋愛・愛について、辞書で言葉の定義を調べてみました。

特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。

恋愛

特定の相手に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情を持つこと。

・かわいがりいつくしむ。思いこがれる。いとおしいと思う気持ち。

・個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。

・(性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う気持ち。

・互いに相手を慕う情。恋。

これを見ると、恋愛と愛には「互いに」という言葉が入っていますが、恋には入っていないことがわかります。ということは、恋は一方的な気持ちで、愛はそれよりも深い、もしくは互いに持つものでしょうか?私はこれを、恋は自分本位な感情、愛は相手本位な感情、ととらえました。恋は誰かに強くひかれる、一方的な思い。自分の思いを成就させたくなる。対して愛は、相手のことを深く思い、相手のためを思うもの。自分を犠牲にしてでも相手を守りたいと思う感情。相手本位ではあるけれど、相手が幸せになると自分も嬉しい。それが愛?恋や執着など相手に固執する思いから、お互いに深い感情を持ちえた時に愛になるのではないでしょうか。

棗と蜜柑

蜜柑と棗は最初、犬猿の仲としてお互い「気に入らないヤツ」「嫌い!」と思い合う関係から始まります。でも、世界を愛し、前向きに未来を切り拓く蜜柑に触れるうち、棗は蜜柑に対して安らぎやあたたかさをおぼえるようになり、そして好きだと自覚していきます。冷静に考えると11歳の子供の恋愛感情がこんなに複雑で強い想いを持つのか…?と思うところがありますが、彼らは物語になるべくしてなった人たち。私とは経験してきたことも違えば環境も違います。彼らの背負っているもの、経験してきたことを考えると、命をかけてでも守りたい相手だという想いを持つのはおかしくないかも、と思えました。まっすぐで周りを照らす明るさを持っている蜜柑だからこそ棗の心も照らせたんだろうな。実際に作品の中で棗は何度も自分の命をかけて蜜柑を守ろうとする場面があります。暗く深い闇にとらわれていた棗の心に差した光である蜜柑の存在は、彼を「生きたい」と強く思わせるほど大きくなっていったのでしょう。

好きな女が 同じ闇に落ちていくのを目の前にして
ぐだぐだ未来の事 説教かまされたところで
何も頭に入ってきやしねーんだよ
お前らが押し付ける未来なんて くそくらえだ

ーー『学園アリス』17巻

前回の記事でも書きましたが、子供だからこそできる無鉄砲な行動。棗も蜜柑を守るために無茶な行動に出ます。でも、そこに彼らの生命力の強さというか、未来を切り拓く力を感じて引き込まれるんですよね。みんなの前で啖呵をきる棗がかっこいいシーンです。いやー棗、本当にかっこいい。

……この手を
お前を連れ出したこの手を…
最後まで他の誰かに渡さないですむくらい
俺に力があったら…………
…今すぐ 大人になりたい
このまま ずっとお前を連れて逃げれるくらい…

ーー『学園アリス』17巻

同い年の周りの子よりも闇を経験して大人びている棗が、自分が子供であることを実感するセリフ。このまま連れ出せたらいいのに、今の自分ひとりではできないとどうしようもなく実感する苦しさ。それでも、最愛の人を誰かに託してでも命を繋ぎ、未来へ繋ぐという強い気持ちにどこか勇気をもらって励まされました。棗はこの想いを胸に生きる決意をしたのでしょうか。つらい。つらいけど、このシーンを経たことで棗と蜜柑の運命の糸はさらに固く繋がれた気がします。

面白いなと思ったのが、棗は蜜柑への恋心を自覚してからは「キスしたい」と考えたり、抱き締めたりするところ。蜜柑にも積極的に気持ちを伝えています。自分を捧げる無償の愛ではなく、本能に忠実でまっすぐな想いとして描かれているところに棗の人間らしさを感じてきゅんときました。キスしたいという感情ってそんなに自然に湧いてくるものなの…?という疑問は感じつつ、それが一般的な恋愛感情なのかも。

蜜柑と流架・流架と棗

棗よりも先に蜜柑への光を感じて、ほんのりと「好きな人」になっていった流架。流架は優しすぎるほど優しい人だから、大好きな棗と大好きな蜜柑のために、最終的に棗に蜜柑を譲る選択をします。それでも溢れてしまう、「自分を見てほしい」「自分が蜜柑を守れたらいいのに」という純粋な想い。終盤ではこれから記憶をなくす蜜柑に対して「今度会った時は俺を好きになって」と伝えます。棗と蜜柑、二人とも大好きな存在だから二人に幸せになってほしいけど、自分の気持ちも無視できない。どうしても溢れてしまう蜜柑への想い。その複雑な想いが人間らしくて子供らしくて、そこが流架の魅力だなあと感じました。流架にも幸せになってほしいと思うけど、蜜柑と棗、大好きな人たちが笑顔で一緒にいられることも流架の幸せなのかもしれないですね。

蜜柑と蛍

蜜柑と蛍は親友で、ずっと一緒の存在。つらいときも楽しいときも蜜柑と蛍は隣同士です。そんな二人の関係はまさしくソウルメイトと言えるのではないでしょうか。実際、31巻(最終巻)でも蜜柑は蛍に関する記憶をなくしながらも、彼女の名前を聞くだけで「魂の半分、失っていたことに気付いたような気持ち」と言っています。この『学園アリス』の物語も、アリス(能力者)として学園へ行ってしまった蛍を追いかけて蜜柑がアリス学園へ入学するところから始まります。

物語の終盤、蛍は蜜柑と棗の運命の糸をつなぎとめるために過去を捻じ曲げて咎を受けることになります。二度と会えないとしても、自分の記憶が誰からも消えてしまうとしても、誰よりも大切な人の笑顔をこれ以上失いたくない。その一心で、彼女は過去を変えるという罪を犯しました。蜜柑も蛍は魂の半分と言い、「心に鮮やかに色がさして愛しさが止まることなくあふれる」と言っています。そこまでの強い愛がありながら、二人は恋愛感情では結ばれていません(おそらく)。物語の終盤、これが最後の逢瀬になるかもしれない際に蛍は蜜柑へキスをしていたので、蛍が抱いていた蜜柑への気持ちが本当は何だったのかはわかりませんが……。もしかしたら、この作品でも彼女ら彼らの間にある感情は「恋愛」だとか「恋」だとかと細分化して名前をつけられるものではなく、大きな「愛」としか表現できないものなのかもしれません。

これが愛なのか

他にも、自分を好きになることはないとわかっていてもそばで柚香を愛し続けた志貴や、荒んでいた自分の心に彩りや切なさを与えてくれた柚香に執着する鳴海、歳の離れた弟を誰よりも可愛がっていた高校長、妹である蛍のために一緒に咎を背負った今井昴、愛を持って接する教え子の一人だったはずの柚香に惹かれてしまった行平などなど、本当にたくさんの尊い感情で結ばれた関係が描かれています。結局ぜんぶ「愛」に帰結していたのかもしれない。そのどれもに引き込まれて、こんなにも誰かを想えることがあるんだと感動して、同時に自分の感情を問い直す機会になりました。誰かが誰かを強く思う想いに名前をつけてラベリングしなくてもいいのかもしれない、とも思えました。私も傷つくことを恐れずに、まっすぐと周りの人を愛していきたい。せつないほどの想いでいっぱいになって苦しくなる体験をもっとしたい。自分で自分の未来を切り開いていきたい。そんな勇気をもらえる作品でした。

……さて、ここまで一気に作品へのたぎる思いを綴ってきましたが、結局言いたいことは何?と思うことでしょう。私も思っています。ただ言いたいのは、『学園アリス』は大人にも子供にもおすすめしたい、最高の作品だということ。生きることの大切さ、誰かをまっすぐ想うことの尊さ、絆の頼もしさを教えてくれます。久しぶりに読んでいてこんなに感情や思考でいっぱいになる作品に出会えました。その感情の昂りを記録しておくということで、今日はここまで。