遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

なんだか最近しんどいので自分で自分を褒めてみる

なんだか最近、心に余裕がない。ふと気付くと気持ちがいっぱいいっぱいになっている。ような気がする。去年の今頃ってどうしてたっけなと思い過去のブログを見返していると、去年の今頃は、快調ではないものの日常に楽しみを見出しながら生活を楽しんでいたように見えた。なんとなく全体的に前向きだ。

dstn18c.hatenablog.com

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対して今の私はなんだかずっと疲れている。もちろん、去年よりも1日の活動量が増え、実習やら就活やらと予定が増えているのもあるけれど、「自分が頑張れている」という事実を認めてあげられていない気がする。なんとなくネガティブで、なんとなく自分が怠けている気がして、なんとなく努力不足な気がして、そうしてほんのりとしんどくなっている。ふとしたときにいっぱいいっぱいになっている自分を自覚して、この程度で限界を感じるなんて、とまた自責する。その繰り返しで、真綿で締められていくようにじわじわと苦しさを感じてきているのだ。こうしてキーボードをタイプするうちに、頭の中だけでぐるぐると考えているときは気付かなかったことに気付けてきた。そうだ、今の私は私を認めてあげられていないんだ。だからしんどいんだ。

さて、ようやくこの最近のしんどさの原因がわかったところで、そのしんどさをどうやって解消するかを考えたい。今のところ推定される原因が「自分を認めてあげられていない」なので、客観的事実を羅列して頑張れているという現実を確認してみたい。

まず大きな出来事として、先週は5日間の実習を乗り越えた。間で1日遅刻した日はあったが、休むことなく勤務できた。また、実習をやりながらも終わった後にオンラインでの面談を2件と、対面での面接を1件こなしている。ということは、実際は丸一日動き回っている日が週に3日もあったわけだ。これは“頑張っていない”だろうか?改めて自分に問う。いや、じゅうぶんに、もしくはじゅうぶん以上に頑張っているだろう、と思える。もちろんすでにフルタイムで働いていたり、圧倒的成長を求めて残業しまくっていたり、仕事に加えて介護や育児をしている人もいるだろうから、私のこのレベルはずいぶんと低いところでの“頑張り”なのかもしれない。でも、私の人生は他人と比べるのではなく過去の自分と比べるべきだ。1年前の自分はたしかに楽しそうだけれど、いま掲げている「自分で自分の生活をまかなえるほどに働く」という目標について考えてみると、状態はまだじゅうぶんではなかった。その1年前の自分と比べると今の私はだいぶ目標に近づいている。これは明らかな進歩だ。この事実は揺るがない。

他にも挙げていくと、ほぼ毎日1度は外に出られるようになったり、頻度は低いがジョギングを再開できたり、読書の時間を持てるようになったり、資格の勉強に取り組もうとしている。それらの負荷が体力とぎりぎり競っているから夜にはへろへろになってしまうわけだが、その体力の限界値も徐々に上がっている実感はある。それも自分の頑張りによるものではないだろうか。そうかもしれない。自分で自分を褒めていくスタイル、大事かも。

こうしてつらつらと自分の近況を整理してみると、なんだか自分をちゃんと認めてあげられるような気がしてきた。だいじょうぶ、頑張れてる。過去の自分からは進めている。悩んでも自責しても変わらないことはいったん思考の外に置いておいて、建設的で自分に優しい思考ができるように意識しよう。自分と一番時間を過ごすのは自分なのだから、自分だけでも自分に優しくしてあげよう。とりあえず、今日は家事はいったん置いておいて休むことに専念しようと思う。ゆっくりお風呂に入って、ゆっくりご飯を食べて、ぐっすり寝る。そうして明日になってもまだ悩むことがあるのなら、誰かに相談してみよう。おつかれ、自分。