遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

読書好きは意外と本を読み流している

仕事に行った日の夜は疲れてしまってなにもできない。体力をつけたいと思って出社しているけれど、体力を持ってかれすぎて&1日中画面を見ているので頭痛も起きて帰ってきた頃にはへろへろ。制作のためにPCに向かう元気がない。

平日の睡眠不足感(実際には7時間以上寝ている)を取り戻すかのように土日はお昼まで眠るし、ちょっと出かけては疲れて帰ってきて横になってしまう。最近はそんな日々を繰り返していて、なにも生み出せないもどかしさを抱えながら生活していた。

今日だって仕事帰りで、本当ならぼーっとTwitterを眺めている時間だ。でも、今日はなんとなく文章が書きたくなった。電車に揺られながら今この執筆ページを開いている。

最近はアウトプットだけじゃなくインプットもなかなかできずにいて、推しのライブもアニメも観られていないし、本もほとんど読めていない。それでも日々は回ってしまうし時間は過ぎていく。なんとなく、なんとなくじりじりと焦りのようなものを感じる。焦りに駆られて行うインプットなんて質が悪いだけなのだけど、なんとなく義務感で本を開いてみたりした。目が滑って文章の中身は頭に入ってこない。そうだよな。今は仕事を頑張る時期なんだな、と自分に言い聞かせて、今週の平日はぼーっとしながらゴロゴロすることに決めた。

 

相変わらず図書館で本をたくさん借りつつ、ブックオフで気になる中古本を買ったり電子書籍でマンガやらエッセイやらを買ったりしていく。積ん読はどんどん増えていって、でも「なんでも読める」という状況に充足感をおぼえている自分もいたりして。私は読書も好きだけれど、「本」そのものも好きなのだろうな。

積んだ本たちは当然すべてが好みに合うわけでなく、借りた本ならば途中まで読んでそのまま返したりもする。もしかしたら読書好きは触れるすべての本をしっかり読んでいると思われているかもしれないが、触れる本の数が多い分、実は読み流している本も多い。さわりだけ読んで違うな、と思って読むのをやめる本も多数ある。私も昔は触れる本すべてをしっかり読みたいと思っていたけれど、本との間にもその時々の縁があって、「タイミングが今ではない」本たちもあるのだなあ、とあるとき思ってからは手が進まない本は途中でも読むのを止めることにしている。買った本でも買ってから数年置いたままの本もあるし、そういうものなんだと思う。きっと必要なタイミングで読みたいなと思うだろうから、そのときまでは背表紙を眺めてにやにやするだけにしているのだ。

 

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