遠い山に雪

生活における瑣末なことあれこれを書きます

脳に溜まったキャッシュを削除してくださささささ

脳が刺激に疲れてへろへろになる。刺激、というのは、耳・目・肌から入ってくるものすべてのことだ。私は刺激中毒かつスマホ中毒なので、起きている時間はほぼずっと何かしらの刺激を浴びている。家事をするときも仕事をするときも出かけているときも音楽かポッドキャストを何かしら流しているし、お風呂にもスマホを持ち込んで音楽を流しながらシャワーを浴びる。住んでいるアパートのゴミ捨て場にゴミを捨てにいく数分ですらイヤホンを着けてポッドキャストを聴き続ける。視界にある文字はすべて読む。張り紙に書かれている言葉の使われ方について考える。電車で隣に座った女の子たちの会話をこっそり聞いて、自分だったらどう思うかな〜と答えを探す。Twitterで「ダイソー」と検索して、世間の人が100均で何を買っているのかをひたすら眺める。バズっているツイートの引用RTをすべて読む。住宅街を歩きながら、この素材でこのデザインでこの広さの家はいくらくらいだろうか、と考える。たまにスマホのスクリーンタイムを確認して驚くのだが、私は一日14時間近くスマホを開いているらしい。そうしてずーっと刺激を受け続けていると、そのうち脳がパンクして、刺激をうまく咀嚼できなくなる。うっすらずっとクルクルと回るローディング中のアイコンが表示されているような、キャッシュが溜まってパンパンになるような状態。そうなったら一旦すべての刺激を絶ったほうがいいとわかっているんだけれど、でも、脳が暇になることに耐えられない。自分でもおかしいと思う。けれど刺激から逃げられない。現代病だろうか。

脳と体が限界を迎えてへろへろとベッドに倒れ込むようになってようやく、いったん刺激を断とう、と思える。スマホから流れるポッドキャストを一時停止し、SNSを閉じ、テレビを消す。本棚の前に行って、読みやすいエッセイを手に取る。本当は本を読むことすらやめておいたほうがいいのだが、急にすべてを絶ってしまうと脳の隙間に不安や絶望が入り込んできて押しつぶされてしまうので、簡単な本を読む。刺激に疲れた脳にはやさしいエッセイがちょうどいい。

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刺激にも大小あるので「疲れやすい刺激」と「疲れにくい刺激」がある。脳にゴミが溜まりやすいのは、ポッドキャストを聞き流している(真剣に聞いてないけど耳には入っている)ときと、SNSを流し読みし続けているとき。特にSNSの流し読みは危険だ。たいした情報でもない、誰かの不満や愚痴や叫びをひたすらに受動喫煙していると、少しずつ心と脳にゴミが溜まっていく。逆に主体性を持って何かを調べたり本を読んだりするときは脳にゴミは溜まりにくい。整理されていない刺激を浴び続けるのが苦手なんだと思う。

今日も朝からずっとポッドキャストを流しながら、筋トレをして家事をしてSNSを見漁って、やっとさっき限界を迎えた。とりあえずポッドキャストは一時停止して、SNSを見るのをやめてこのブログを書いている。書き進めるごとに脳内に散乱した情報や感情が少しずつ整理されていく感覚が気持ちいい。これもまた刺激ではあるのだが、意味も価値もない受動喫煙を続けるよりはマシな刺激だろう。今夜はお風呂では刺激をなくしてゆっくり過ごすことにしよう。そして早めに寝て、また明日すっきりした脳で刺激を浴びるんだ。